ちょっと時代おくれな社長の一言

ひとこと ~第三回~

今から思えば昭和30年から昭和40年代は建築業界にとって大きな曲がり角だったような気がします。

今日, 名だたるハウスメーカーが台頭してきたのもこのころでした 従来の業界の常識や仕組みが変わろう

としていました。

今までは 家を建てるには地元の棟梁に相談して地場の頭と棟梁とで話し合いながら造ってくれたものです  

それぞれが皆 地元で何代もつづいている仕事師ですから 頭は土地の形状や地盤の強弱などボーリング

調査などしなくてもよく知っておりました。 又 棟梁も地元の人間で お客さんとも親の代からの付き合いです

から家族構成も好みもよく知っておりました 頼むほうも頼まれるほうも信頼関係がありましたから トラブル

などありませんでした 町で会っても ”おい棟梁” ”ハイ旦那” と言う間柄です。

「旦那」という言葉は 今はいろいろな意味でつかわれますが 本来は、職人が自分の施主にたいして使う

言いかたでした。雪が降れば自分より先に旦那の家の雪かきを朝一番にすませる だからと言って手間代

の請求などしません、 仕事の話で旦那に呼ばれても玄関先や庭先で話を聞く どうしても上がれといわれれ

ば座敷の前の廊下でかしこまって聞く 冬でも同じでした。 40年前はそんな職人がまだ残っておりました。

昭和は遠くになりにけり 昔はよかったね。

 

平成25年6月

 

~つづく~

 

注     棟梁 : 主に木造建築を請け負う大工の親方

            徒弟制度の頂点に位置し 弟子を何人も住み込みで教育して 約10年で一人前の職人

            に育てた

      頭(かしら) : 鳶  鳶職の親方  木造家屋の基礎工事や足場工事を請け負う

                江戸時代は町火消も仕事だった

 

  

 

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